起立講義で英語学習
座位はボディランゲージを不能にさせる
英語は身体を使ってジェスチャー混じりの言語伝達が良いはずだ
外国人との会話の場面を想像してもかなりの割合で動作状態にあるだろう
実際にあった話だが京都の観光地を目指して、とある歩道を歩いていたら欧米系の自転車に乗った夫婦に道を尋ねられた
手持ちの地図を指で示しながら英語で「北野天満宮へ行きたい」とのことだった
なので私は現在地をグーグルマップで確認しながら北野天満宮へのルートを伝えた
その際、彼らは自転車で目的地へ向かうのだが「ハンドルに握られていた手」が会話と同時にハンドルから離れ、バーバルとジェスチャーを用いて英語を私に伝えてくれた
もちろん私も現在地から目的地への道を彼らと同じような伝達方法で示した
バーバルで伝え切れない英語力はノンバーバルに救いの手を求めることができる
方向は手で示し、所要時間は指で示すことができる
これらの身体の動作は自然に説明とともに表現されることを考えると、スタンディングデスクの存在は不要と判断されるかもしれない
だが、健康面も加味すると長時間着席姿勢が継続されるのは望ましくない
ならば英語ぐらいは起立姿勢でも良いのではないか?
正直、立ちながら書く動作は可能であり支障はない
当然ながら机に突っ伏して寝てしまうこともなくなる
スタンディングデスクというのは私個人の一提案ではあるが、試験的に導入してはどうか?
例えば、【小学生】1コマ50分授業の半分を起立姿勢にするという取り組み
中学生以降はさらに時間を延ばして導入するべきだと思う
ただスタンディングデスクは身長によって机の高低に差が出る
座位姿勢への負担
座学のみで1日を終えるのは勿体無いではないか
休み時間に屋外へ出ない学生がいるとすれば学内で座位姿勢が圧倒的時間を費やす
身動きせずイスから固定された身体は不健康体化する
身長との相性で机の選択をするがどうしても首への負担は拭えない
板書された字をノートに書くにも目線よりは首が下がる
約5kgある頭部を支える首に負担がくるのは確実だ
姿勢を正して文字を書くにも座っては集中力に限界が訪れるのも必至
甚だ疑問なのだが音楽は起立で歌を歌うのに英語は座位となってしまう
声を出す授業という面では同じはずだ
「立つ」と「座る」には勉学の質に雲泥の差があると勝手に思っている
立って英文を読むだけで絶対的に声色に量感が伴い理解度にも差が生まれる
負担を最低限に抑えるには座りながらも良い姿勢を保ち、首を下げる行為を極力なくす
勉強はスポーツ
この概念を一つ入れると「動き」が必要になる
歩きながら英単語を発音する、踊りながら歌う
運動的要素を勉学でミックスさせることでゲーム感覚が養えるようになる
機械的に教科を学んでも感情が無ではゼロ知識に終わり何も得られない
そこに「動要素」があれば脳に伝わる回路が拡張されガツンと内容が入力されるかもしれない
その起点がスタンディングデスクにあるのではないかと考える
そもそも小学生時代から即刻「勉強を楽しむ感覚」を得る必要がある
私はそれを置き忘れてきた
やるべきことをせず6年間を無駄にしていた
だからこそ低学年のうちから勉強の勉強を伝えるべきだと感じる
以上で私が思う「英語の学び方」についての提言だ