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言い出したらきりがないと最初は思った。
「第一言語が通用しない」
「季節変動がなく一定している」
「都会から付かず離れずの田舎」
想像できる範囲で出した回答がこの三つだけになったのは過去に経験を積んでいない、もしくは想像力がない結果。
望む住みたい街の最終回答は1/3の「第一言語が通用しない街」にする。
日本人として京都で生誕して25年、日本国内に訪れるインバウンドの数が2000万人を遥かに超えた昨今には「時代遅れの住みたい街」回答かもしれない。
大学進学者が90%を超える現象が当たり前となり、留学経験も同じ流れを辿る時代。
自分という人間を知れる機会、何者かを診るには日本語を省いて日本文化から疎遠な海外に身を置く経験が成長を促す時間になる。
英語学習を専攻していた財産を活用出来る場所は今や日本にもあるが、海外に拘る理由は環境ごと変えたいから。
[自然、人種、嗅覚、視覚、聴覚、感性]
これらワードが国内と国外では180度変わる。
海外で発揮される感性がどのように感化されるか、また同化されるか。
異文化に触れる最大利益は多様性の創造で、発想を豊かに独創性を培う進化の賜物。
実際に体験する機会、コト消費で初めて理解や共感、反感を抱いて吸収するか排除するかを選択する。
期待と欲求を持って述べた住みたい街だが、一方で不安もある。
「〜したい」は不安要素を持って臨むことがあるのは当然。
しかし、それが最大級に望んでいる住みたい街だと断言できる。
不安を乗り越えた先の達成感や充実度や信頼を賞賛する時間を持ちたいからこそ「第一言語が通用しない」街の選択になったと改めて頷ける。
欲求が課題になれるのは幸福なことだと一考するに至ったのは今回のテーマが教えてくれた。
最後に
「SUUMOさん書籍化おめでとうございます!」
書籍化記念! SUUMOタウン特別お題キャンペーン #住みたい街、住みたかった街