先日土曜日の下鴨神社で蹴鞠はじめを嘱目し嗜んだ一方で、参道の露店で気になる点が今になり浮上した。
日本国内の祭典や行事に過去一度でも参加した方なら少なくとも一軒は目にしたことがある露店。
境内までの参道の両脇に林立する種々雑多な「売れる露店、そうでない露店」を勝手に洗い出す。
威勢の良い掛け声は視線が向く
これぞ露店主だと思わせる口振りではないか。
初詣でに来る参拝客は参道にある露店を脇見しながら境内へと足を進めるのに、掛け声ゼロでは振り向きもしないだろう。
興味すら覚えない商品は掛け声があっても素通りだ。
ここで私が実際に見たある露店主(A)の話をしたい。
まずはA露店の特徴から説明する。
一見すると大人向け商品を取り扱ってるのではなく完全に子ども向けのグッズが店前と店奥に展示され、地面に目を移すとスーパーボールの浮いた巨大容器があり水流が確認できた。
これらを推理すると、ゲームに参加しその結果によって獲得商品が変わるシステムであろう。
つまり、この露店のターゲット層は子ども連れの家族か小学生ぐるみの参拝客となる。
一回参加料金は掲示されていたと思うが、興味ないことに横目で見ただけで未確認というミスを犯した。
さて、ここでAについて話そう。
私が見る限り今でも脳裏に焼き付く姿が、掛け声なしでパイプ椅子の座面に腰という姿だった。
引っ切り無しにひしめく参拝客が参道を右往左往する光景に対してなぜ声をかけないのだろう。
これは単純な疑問だ。
神の領域で普段できない食、酒、コト体験を促してくれてもいいのにと思いながらその露店を通り過ぎた。
もしかすると対象年齢外の私という存在に声掛けするコストを考えたのかもしれない。
だから視線すらも合わなかったのだろう。
そんなAはそうでない露店に該当する。
ケバブ露店
買わなかったが買いたくなった露店がケバブだった。
なぜならケバブが好きなことと外国人が日本語で「ケバブどうですか〜」と声掛けがあり、さらに笑顔だったからだ。
新年に楽しい気持ちでいられるのは笑えるからで、ケバブをあんなに楽しく販売していたら財布の紐も緩くなってしまうのは確実。
商品購入以外に小会話でコミュニケーションが生まれる。
物の売買は、“隠れコト消費”だと勝手に決めている。
生産ー加工ー販売などの段階を経て消費者のもとに届いた商品の売買はコト消費だと考えている。
そう思えば買いたい商品とそうでない商品の差が生まれ露店にも商品以外の側面で淘汰が起きる。
私が見たケバブ露店は買いたくなる露店に該当する。
実際に参道で買いたくなる露店で買ったものは日本酒だった。
笑顔一面に地酒を注いでくれた彼女にまた注いでもらいたくなるくらいの名露店であった。