カフェのカウンター席で妄想する

よく学生時代は「公式」を覚えさせられた。特にそれは苦い経験のとき、異常なほどに記憶の力を発揮する。数学と新たな呼び名に変貌した科目が中学に入学し登場した。そこを起点に「公式」と対峙する。

しかし、今やっている公式は「カフェのカウンター席のif then方式」である。

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左隣の両手カタカタ

これは実際の話で、リアルタイムで進行中である。左手にはMacBook Airが稼働し手慣れた手つきでキーボードを叩く雰囲気が流し目を繰り返して分析した。怖くなって少し画面を暗くし相手の動向を探ると「止まっては打ち込む」手の動きが確認される。完全なる変態なのか俺は。それでも他人の雰囲気観察は有頂天である。私利私欲でもないのに自分というフィルターを通して全世界にブログで「左側の青年の情勢」を発信している。3分ほど動きが止まった。これはスクリーンをガン見し脳内で情報を咀嚼しているのだ。また、動き出した。彼の脳内は止められない。何を見て何を考え何を思っているのか。しかし、人の脳内へ侵入はしたくない。なぜなら、相手の心理を勝手に100%知りたくないから。知らない程度の距離感が関係性を維持する秘訣とでも言えるのか。いや、未知人に対して関係値もクソもない。だって他人で会ったことなく顔もまだ見ていない。流し目で確認できる対象物は「両手だけ」なんだから。たとえ恋人でも100%知りたくはない。それはスマホの中身をすべて管理したくもなければ最後まで共有できるとも考えていないから。「不意に知ってしまう」はなんら問題ない。不慮の事故と表現できる事案で、覗き見からの事実は心理的にも今後避けようがない。後悔あとをたたずとなってしまう。

ぶつぶつと妄想が止まらない。

吾峠呼世晴だった場合

もし、彼が「吾峠呼世晴だったら」どうするだろう。ウィキペディアによると鬼滅の刃の作者は「女性」とされているが、もし横に吾峠呼世晴がいたらどうなるか。とにかくヤバい。まず地元に出没している時点で興奮が冷めやらない。物語は幕を閉じ残すはテレビアニメの続編となるが、作者は今もなお世界のどこかで暮らしている。それがピンポイントで左にいたら驚愕的。まずは感謝と感動を伝えるだろう。「名探偵コナン」以来にハマった漫画だと伝えて素人なりに取材する。鬼滅関連ではなく今後の展望メインで質問を投げ回答を探る。

まとめ

「もし◯◯なら〜する」で妄想を展開してきたが思いの丈をつらつら書くのは楽しいですね。テーマを絞って書くブログもいいですが、思いのままに湧いてきた単語と文章を繋げて「ぶわぁっっと」書くのもアリ。ブログって妄想も想像も恐怖も不安も娯楽も悲観も何でもジャンルに制約がない。誹謗中傷は否定するけど、文章として指で吐き出す言葉って悪くない。文章構造とか文章術とかあるけど無視して誤字脱字あって書くのも自由。質が問われる時代で記事の整合性も求められるけど「自由に思っていることを書く」ことが大事。

「何か書きたい」「書くの苦手」「どう書いたらいいの」っていう読者は書いた方がいい。何も枠を固定せず「書きたいこと」を素直に書いてみる。何気ない小さな幸せに喜びを感じるように、些細なことから書いてみる。

覚えたことをアウトプットするように他人に伝えたり、文字に起こすと記憶に定着するから何かを学習している人は発信者になって高効率の勉強法を勝ち取りましょう。

そんな所で本日の独り言と妄想を終わります。