バレンタインデーの味は苦く甘い

今週のお題「チョコレート」と聞いて思い浮かべるのは学生時代。群を抜いてモテた時期が小学生時代。「人生のピーク」と表しても過言ではない前述時代を思い出しチョコレートエピソードトークを披露します。

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学校で渡して

「どこで住所知った?」

チョコ貰う云々以前に出るセリフは決まってこれ。突然、家のベルが鳴り「〇〇です」と扉を開けると女の子。彼女のビジュアルを言えば小学生ギャル黒髪に金髪を軽くあしらい不敵な笑みが特徴で、自我が強いイメージがあった。小学校低学年でシャイな一面があった筆者は玄関先で硬直した面構えでロボットのような受け取りをしてしまった。不敵な笑みVS人工的な笑み肉体的にも精神的にも完全に敗北していた。貰ったチョコに仕掛けがないか疑心暗鬼で心では蓋をしていた。

そもそも何で家を知っているのか不思議で仕方がなかった。登校班でも学校でも時間を共有した記憶がないのにもかかわらず、家が知られていた。携帯もなければ地図アプリすらなく特定できるわけがなかった。それなのに「ピンポーン」と戦慄が走った。覗き穴を見なくてよかった。片目で見ていたら石にされていたかもしれない。今も過去も結局は情報が筒抜けなのだ。人伝で住所がバラされ「手作り」の手渡しは虫唾が走る。

作り手の気持ちを考えると、ありがとうが先に口をつかなかったのは不徳の致すところ。相手の気持ちを逆撫でする態度は良くないし泣かせるような言動は慎まないといけない。でも、内心と表情は嘘をつけなかった。これだけ忘れられない記憶として残る理由は、感情の昂りがあったからだろう。恐怖は尚更だ。脳が強く記憶に残すためには感情がともなう必要がある。

せめて学校で渡してくれたらよかったのに。実家に来れば自分以外にも玄関先に当人が出ない場合もある。彼女の精神は本物だったのだ。つまり、バレンタインを通して彼女の芯の強さを学習できる経験がそこには隠されていたのだ。「メンタルは大事だよ」って透明度100%でチョコに書かれていた気もする。

恥ずかしくもテンアゲ

高学年のとき、下校の道端で突然、チョコを受け取った。今でもその場で開けたことを鮮明に覚えている。銀紙に包まれた中身には、少し形が崩れた丸いスマイルのチョコが二つあった。当時は、緊張気味で余裕がなかったが、今思うと渡す方にも不安や葛藤があったかもしれない。

食べようとチョコを手にかけるとホロッと崩れた。渡すまでの緊張や不安で腕に力が入っていたと推測するが本当のところはどうだったんだろう。彼女は透明度が高い純白な妖精と例えたくなるほど純粋な女性だった。シャイで実直で、すらっとしていて惹かれる部分が多かった。それでも手作りのチョコには筆者の清潔感が邪魔をした。味は美味しいのに心から喜べないつっかえが胸にあった。

今なら前傾姿勢で頬張って、つっかえなく美味しい表情を向けることができる自信があるし、昔とは違う条件で状況が変わると言いたい。

すごく切ない苦く甘い1日がバレンタインデーにはある。


対極的なバレンタインデーを数回経験したことは相手あってのこと。苦くも甘いバレンタインは小学生時代にしかできないものでもある。「どう対峙していいかわからない」時間は相手にとっても特別な機会や勝負の瞬間でもある。中学高校にあがって一度ももらえなくなった。それだけ筆者の魅力が減少していったということだと思う。

今週のお題「チョコレート」