訃報から学ぶ

今夏も暑いのでしょうか。

鶯の囀りの心地良さのもと起床する午前中にはない湿度含みの気温高い昼前。

脇汗が止まんねーです。

外出用に装着するマスクでとうとう口元もジトジト湿気まじりです。

こんな時は機能性に優れた商品を生産販売するユニクロのマスク事業に期待です。

(FUN TO CREATE噂こそこそ話。ユニクロもだが、GU衣服も結構好み。)

ユニクロのマスク事業の詳細は日本経済新聞へ

今回は「悲報について筆者の考え」です。

発信内容の確認技術

訃報の一報がネットで入った。

人間って脆弱か頑強かは、状況次第でどっちにも針は振れる。

不特定多数に誹謗中傷を受けた経験がなくても自己否定から認知に歪みが生じて病気を拗らした筆者の過去を振り返れば、相当に精神を痛めつけ非道な外圧だっただろうと推察する。

他者を本当に心底思いやる気持ちを忘却せず、ブログを触るユーザーとして活字入力には細心の注意を払う。

他者の言動に対して様々な角度や深度への振動として思料の芽が出る。

前向きか後ろ向きか、また中立的かで本人の行動決定が変わる。

自身がいかに加害者にならない為に投げかける言葉に他者を痛めつける物が含まれないか逐一確認出来るシステムがあれば良い。

システムの前に大前提で絶対にしてはいけない。

例えば、ツイートボタンをクリックするとメッセージがポンッと画面上に表示され、「この内容で本当に投稿しますか?」といった具合に。

記憶上ではこのような仕組みを開発した海外の少女がいたような断片的な印象が長期記憶として保管されている。

85%の自信でその技術を開発した少女がいたはず。

(記憶違いならごめんなさい。)

人を殺める凶器となる言葉が死に拍車をかける可能性の想像力が今回の件以前にあれば悲しい結果は生まれなかったのか。

訃報後にツイートする芸能人の思いの丈を何件か拝見した。

 

これからは真剣に言動に注意する。