今になって感じる母の強さ
叔父さんとなった平成の終わり
令和を前にした平成31年4月27日の午後に世間的に言う「叔父」さんとなった。
25歳にして「叔父」になるとは想像もしていなかった。
しかしこれは喜ばしいことで、未来を担う新生児が誕生したこの日ばかりは様々な感動と感情が沸き起こった。
実際に、女性が我が子を生むまでには壮絶な死闘を繰り広げられる瞬間を目の当たりにした。
分娩室の畳で横たわる母体から発せられる体温や汗、握りしめる両手の力からは一刻一刻が感動の連鎖で埋め尽くされていた。
小さな新しい命の誕生を目前に控える姉の背中は非常にたくましいもので、自分自身に頑張れと鼓舞する言葉には母となる姉の強さも感じた。
分娩中は皆が必死で、助産師を筆頭に自然と個々が役割を果たす行動をとっていた。
団扇で火照る体を扇ぎながら前向きな言葉で声援を送るInukai。
湿った額を優しくタオルで拭うが、それには助産師から一喝が飛ぶ。
「もっとがっつり強く拭いて!」
「あっ、はい!」
分娩中を見守る側は体をさするにも額をタオルで拭うにも力加減を増すのが巧者となるようだ。
専門的要素では助産師が非専門的要素は親族が担う形で取り囲んで会話がなされる。
分娩当人を除く両者間で世間話が開始され、時折笑いが生まれる。
つまり、分娩サポートを進行しながら会話が生まれる。
それを分娩当人は非介入当然でありながら「笑い声」を聞かされる。(本人談)
非常に不愉快だったらしいです。。。
当人に全神経を尖らせることが分娩の際は最善の道だと改めて感じました。
甥が愛おしくて仕方がない
Photo by Aditya Romansa on Unsplash
新生児を前にしてこんなにも可愛いと感じる瞬間が訪れたことに驚嘆の嵐でした。
どんな表情すら癒しを与えてくれ、小さい体で大きい動きを一生懸命に頑張っている様子が何とも幸せを運んでくれる。(自分の子じゃないのに)
彼は先天的に物凄いパワーを備えてこの世にやって来たのかもしれない。
退院直後から、普段しない家事全般をするようになった。
気付くまでに25年の歳月を経てしまった。
これからは積極的に自ら家事全般に介入する姿勢が求められる。
甥の存在が出来る未来の夫へと変えてくれるような気がした。
何気無い表情でもカメラで写真に抑えたくなるのはなぜなのか。
同じように見えて違う一面が浮かんでいるように感じる。
時間が止まったかのように時間を忘れてじっと姿を見ていられる。
全くと言っていいほど飽きることのない命が目の前にいるのが不思議でたまらない。
立ち会い出産をしたおかげで母親に対する行動を変えようと思えた。
お兄ちゃんと呼ばれるように・・・
妊娠から出産後もなお心身の不調が見られる女性は確かに存在する。
そう考えるとバックアップ出来るのは夫をはじめとする男性陣の役割だと再認識される。
ミレニアル世代では夫婦間で家事分担が定量的に決められていると想像するがまるっきり妻任せがあるのも事実。
だが令和では万人が平穏無事に暮らせる家庭内を築いていくために男性陣が女性陣がするとされた昭和時代の家事全般に立ち向かう心持ちが必須になる。
とは言いつつもデジタル社会が加速度的に進みながら技術進化で「家事ロボット」が登場する未来が待ち受ける。
生涯家事業手抜きで廃れていく男になりたくないので甥の鏡となれる背中を示していきたい。
そして「叔父さん」ならぬ「お兄ちゃん」と呼ばれるように・・・
では