時には何かを知らず知らずの内に食べてしまったり、我慢したりして初めて、事後に〜〜〜後悔を見る〜〜〜。
King Gnuの白日の冒頭らしく歌って読んで!
したらわかるかも知れない。
ジャンクフードやポテチ、さらに糖質系の類を大量もしくは多頻度で摂取してしまう、どこか無意識的で手が口が動いてしまう一種の中毒のような食生活が根付いて離れない。
しかし、今回のテーマに該当する「納豆」を連日、無意識のようにもぐもぐ食べるなんてありはしない。
あくまで自分の話だが・・・。
納豆って基本的にスーパーでは1パック3つ入りで¥100足らず。
それなのに3パックも買ったりしない。
安いか高いかは置いといて、無心でカゴに何パックもブッ込まない。
何でだろうか。
「健康になりたい」って頭で思い巡らし、買い物に行こうとも毎度目線に入れているわけじゃない。
不意に食べたくなる一品に過ぎないのだろうか?
生産者の方々には非常に申し訳なく失礼な暴言に間違いないがこれが本音。
健康面は度外視して「大好きだから食べている」方々からは次のように言われるかもしれない。
「不意に食べたくなるのは気まぐれなだけで、食べたくない時もあるんでしょ」
実にその通りかも知れない。
だから私は、金輪際、「納豆が好きだ」と口が裂けても言えない。
ここからは私の反撃だ。
好きと公言するあなたは毎食納豆を食べられるのか?
私は寿司やカレーが大好きだ。
毎日でも毎食でも酢飯やカレールーが食べたくて仕方がない。
だから好きと公言できる。
起床後すぐに冷蔵庫から納豆を取り出す日本人を想像すると脳裏に祖父母が浮かぶ。
ネギやご飯のおかず、キムチに混ぜて食べるならまだしも他料理の合間をぬって食べるには些か疑問点が湧く。
他料理に納豆の粘りや味覚が侵食するのではないか。
心配で頭から離れないし、さらに言えばなぶり箸を止められない。
箸の先端には納豆の粘つきが納豆を掬うごとに付着する。
タオルで拭き取るわけにもいかず、ティッシュでは繊維までも付着する。
これでは食事の途中経過に納豆を食するわけにはいかない。
合間ではなく、最初か最後の二択になる。
どちらかになると前者以外の答えはない。
だって食事の終わりが納豆の後味では甲斐性がない。
もっとパワフルに満足感の得られる後味で食事を終えたい私はメイン料理で食後の余韻を楽しむ。
だから回転寿司では、最後の締めにサーモンかマグロで終えるのは癖付いている。
YouTuberのモーニングルーティンに注目しても朝食から喉元に納豆を滑らす動画を公開するYouTuberはいやしない。
納豆が食卓へ並ぶ機会は専ら夕飯の私からすれば低頻度な納豆食。
発酵食の面からは腸内環境を活発に維持してくれる適食に間違いはないので侮ることなく適材適所に当てて食べ活していきたい。
食べたなる時が納豆を食べる時だ!
今週のお題「納豆」