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先日、 MiyaviさんのYouTube Channelのとある動画を見ました。
それは日本酒に関する動画で、日本酒は世界的に人気のあるお酒であっても日本人の評価が高くないと発言されていました。
私は日本酒の熱狂的消費者ではないので、どの銘柄が自分の口に相性が良いのか検討もつかないが、金粉が塗してある日本酒を見ると飲みたくなる人間です。
製造工程も想像がつかないし、どんな原材料から作り上げられるかすら知りません。
だから自分の評価基準が、試飲して美味しいか不味いかになります。
酒蔵や製造工程を見れる体験ツアーへの参加には興味があるし、多品種の酒瓶を見ると脳内アンテアが瞬時に興奮に振れることは考えられます。
ただ、飲めるか飲めないかの基準は味覚と刺激に左右されるので、飲可 or 飲否で選別することに変わりはありません。
こんな日本酒ど素人が日付が変わり本日夜か大晦日、日本酒再デビューです。(数年振り)
再デビュー日に登場する日本酒ですが、前出内容にあった「金粉塗してたら飲む」が本日実現します!
黄桜より、京のとくり 純米金箔です。
年の瀬に縁起が良い色合いです。
金色を摂取するには金箔ぐらいしかないな。
上述にある日本人の日本酒に対する低評価が本当かはさてと、私自身が日本酒に微塵も常識や低評価の根付きがないので縛りなくバッサリと判断が下せます。
それは味覚への回答ですが・・・。
例えば、お金だと過去を遡ると教育的にタブー視されて子どもが “お金を語るな” や “稼ぐな” などの抑圧はあった。
そしてその否定意見が肯定だと思い込んでいた。
それが根付きとして年齢を重ねて常識化され、さらに強固に固定化されていったと強く感じます。
今ではその意識も薄れて、むしろ子どもが金融を学ぶべきとさえ確信する。
それは大人になると稼ぐことを求められるから。
今では社会的通念として固定化された否定的意味合いが崩され、前向きに捉えられてきた。
日本酒にはこの低評価の念頭が自分に未だ嘗てない。
これはこの先もないことを意味する。
だから前提がフェアになっている。
まあ、未成年はお酒を飲めないから否定しようもないけど。
タイトルの褒められたら素直に感謝するだけというのは謙虚は不必要と言う意味。
これもよく思い出す。
「すごいね」「かっこいい」「羨ましい」など言われた時に「そんなことないよ」って言うナンセンスな返しが自分に根付いて離れないくらいに粘着力がある。
これらは全て感謝系のワードを投げるだけで良い。
「そんなことないよ」自体が否定的側面を宿す。
こんなことは思考時代の今、気づいている人がほとんど。
もうそのマインドセットで全力投球で笑顔振り撒いてるけどね。